こんばんは!

車いすカウンセラー、前田真規です。

 

さ、寒すぎ〜!
今日のこちらの最低気温、−5℃。

 

そしたら夫が、「ロシアなんて−65℃なんだぞ」と。
知らんがな。
ここは日本で、私は−5℃でもめちゃ寒いんだから。

 

 

さて、4歳の障害 (身体) をもつ男の子のお母さんから、「真規さんはずっと普通学校に通われたんですか? うちの子を普通学校に行かせるか、特別支援学校に行かせるか迷っています。
真規さんの経験を教えていただけませんか?」

 

というご質問をいただきましたので、ブログにて書かせていただきます。

 

これは、あくまでも私の経験であって、こうしたほうがいいよ、というものではないということを、あらかじめお伝えしておきます。

 

結果から言うと、私は小学校から短大まで、普通の学校に通いました。

 

先天性ミオパチーの症状が出始めたのは、保育園の頃からでした。

 

小学校に入ってからは、地べたからの立ち上がりや階段の昇り降りに手を貸してもらわないとできなかったのですが、登下校の際に毎日のように転んで生傷が絶えなかったものの、6年間 通いきりました。

 

中学に上がる時に、先生から、「中学は養護学校に通ったほうが楽ではないか」と提案がありました。

 

当時の私は養護学校(今の特別支援学校)のよの字も知らなくて、当然みんなと一緒に中学校に行くものだと思っていたし、両親もそう思っていたので、両親が中学校にかけあいに行ってくれました。

 

有り難いことに、その中学校の校長先生がとても理解のある人で、私は難なくみんなと一緒の中学校に入ることができました。

 

対応としては、階段の昇り降りが大変なため、2年生と3年生の時は、私のクラスを1階にしてくれたことと、場合によっては業務用エレベーター(給食の配膳車を乗せる) を使わせてくれるというものでした。

 

ちなみに、中学の時の校長先生は、私のことを常に気にかけてくれる人で、校内で会うと、「ちょっとおいで」と言って校長室に連れていき、「何か困ってることはないかな?」と聞いてくれるような方でした。

 

忘れられないのが、ある日、当時話題だった、サリドマイドで両手がない女性の『典子は今』という本を、校長先生のサイン付きでくれたこと。
なぜに典子さんではなく、校長先生のサイン付き!?(笑)

 

あまりに私のことを気にかけてくれる校長先生だったから、だんだん鬱陶しくなって、校内で校長先生を見つけると、「げっ、校長先生だ」と言って、隠れるような私でした。柱|д・) ジィ

 

高校は、自転車で通える範囲の地元の高校へ。
3年間を通しての担任の先生が、奥さんが養護学校の先生だったこともあり、私にとても理解のある先生でした。

 

その、高校の先生が推薦してくれて、岐阜県の短大に通うこともできました。
電車で通うことができなかったので、高校卒業時に運転免許をとり、父に中古の軽自動車を買ってもらい、車で2年間通いました。

 

それから一般企業で3年間勤めるのですが、この頃までが私が一番 体力もあって元気な頃でした。

 

20代前半くらいから、あれよあれよという間に病気が進行していったのです。

 

小学校から短大まで、普通の学校に通ったことについては、小さないじめがあったり、集団行動についていく大変さはあったものの、今の私を形成するには良かったと思っています。

 

普通学校(学級)と特別支援学校、どちらがいいとは言い切れません。
それぞれの障害の特性、本人や親御さんの希望、学校側の受け入れ体制で決めることになると思います。

 

次回のブログでは、インクルーシブ教育と、普通学校と特別支援学校のそれぞれのメリット・デメリットについて書く予定です。