こんにちは!
車いすカウンセラー、前田真規です。
23年前の今日…。
「あっ、真規ちゃん、戻ったね。
良かった〜。先生呼んでくるね!」
目が覚めた時の私は、口から挿管され、体中 点滴や測定器などが付けられていました。
小さくしか開かない私の口を、よっぽど急いで挿管したのでしょう。
私の唇の脇は裂けていました。
口に何が入ってるの?
痛い。これ取って!
邪魔な物が口に入っていて苦しい…。
看護師長さんが側に来て、
「真規ちゃん、良かったね。昨日のこと覚えてる?
真規ちゃん、意識不明になっちゃったの。
これ嫌だけど、しばらく我慢してね」
前夜のことを聞きました。
入院してきたばかりの私は、夜に急変して意識不明になったこと。
(酸素投与をしたけど、吐きが少ないから脳に二酸化炭素が溜まってしまった)
検温に来た看護師さんが発見してくれたこと。
お見舞いに来ていた妹が帰った直後だったこと。
呼吸不全が原因で、心不全を起こし、肝臓も鬱血して大きくなっていたこと。
家族 親戚をはじめ、当時つきあっていた彼氏、会社の先輩、別の病院から主治医が駆けつけてくれたこと。
テレビからは、けたたましいサイレンの音とともに、街中が炎に包まれた様子が目に飛び込んできました。
看護師さんが、「さっきね、神戸で大きい地震があったの。
こっちも揺れたんだよ。」
と教えてくれました。
まだボ〜ッとしている中、その日は一日中、地震を報じるニュースばかりが聞こえていました。
阪神・淡路大震災から23年。
私が命拾いしてから23年。
そして、それから倍の年数を生きてきた私。
23年という年月は、震災で家族を亡くした方々にとっては、1日たりとも忘れられない年月だったことでしょう。
正直、私は忘れていました。
風化していってる…。
今朝は早起きしていたお陰で、テレビで観て、5時46分、震災が起きた時間に黙祷することができました。
亡くなられた6434名の方々へのご冥福をお祈りするとともに
あの時、意識不明になっていた私を発見してくれた看護師さんに…。
支えてくれた家族、友人、医療スタッフやヘルパーさんたちに…。
そして、あれから23年、色々あったけど今こうして生きていられる私に…。
心からの感謝を込めて。
ありがとうございます。